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古墳時代の服装は?豪族(貴族)と庶民、男性と女性の違いは?特徴など簡単に解説!

古墳時代とは、一般的に3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指します。

弥生時代に続く時期区分であり、前方後円墳に代表される古墳が盛んに作られていました。

また、倭国が次第に統一されていった時代としても知られています。

そんな古墳時代の服装はどのようなものだったのでしょうか?

この記事では、古墳時代の服装について簡単に解説していきます。

古墳時代の服装の特徴

古墳時代は、渡来人などによって大陸の文化や技術が多く伝来しました。

また、大王や有力者を中心に、武士や豪族などの階層が形成され、社会的な格差が明確になった時期でもあります。

そしてそれらは、古墳時代の服装に影響を与えています。

まず、弥生時代まではなかった身分によって服装に差が出るようになりました。

さらに、機織具などが進化したことによって、弥生時代より華やかな服装になっていったのです。

古墳時代の服装|豪族(貴族)の服装

【豪族(貴族)の男性の服装】

  • 衣と呼ばれる上着に袴を着用
  • 衣は、襟のまるい、長い上衣で、左前に合わせ、襟紐と言われる紐で、胸と脇のところで結んでいた
  • 袴は、太いダボダボのズボンのようなもので、動きやすいように膝の下を脚結(あゆい)という紐で縛っていた
  • 靴も履いていた
  • 正装の場合、腰に大刀と呼ばれる刀を身に付けていた
  • 髪の毛は、頭の真ん中で左右に分け、おさげ髪のように束ねて、耳の脇で結ぶ「美豆良(みずら)」というスタイル。特に身分の高い人は、これを肩に向かって垂らしていた「下げ美豆良」というスタイルをとっていた

【豪族(貴族)の女性の服装】

  • 衣と呼ばれる上着にスカートのような裳(も)を着用
  • 身分が高ければ高いほど、色々な色で染められた絹糸で織った布で作られており、水玉や波形などの模様がつくなど、より華やかなものになっていた
  • 髪の毛は、今の島田髷に似ているような、頭上でまとめて結んだ髷のスタイル

現在では、洋服の襟を合わせる際、女性は左前、男性は右前となっていますが、当時は男女ともに左前で服を着ていました。

また、男女ともに、首飾りや耳環といったアクセサリーをつけたり、顔に赤色の顔料を塗る化粧をしたりということもあったようですが、これは日常的ではなく、儀式を行う際などにしていました。

豪族の服装(芝山町立芝山古墳・はにわ博物館より)

古墳時代の服装|庶民の服装

庶民は、豪族(貴族)のように男女差はありませんでした。

男女ともに、貫頭衣のようなワンピース型の衣服を着ていたのです。

豪族(貴族)のように絹などが使われることはなく、弥生時代と同じような器具を用いて麻などで作られた布を使用していました。

また、冬などには、寒さを凌ぐために、ズボンを履いたり、サンダルのようなものを履いたりもしていたようです。

さらに、特別な日には、手作りのアクセサリーをつけていました。

髪の毛は、男女で差がありました。

男性は、先程もお伝えしたような美豆良ですが、豪族(貴族)の男性とは違い、束ねた髪を肩に向かって垂らさずに、耳の脇で縛り下に垂らさないようにする「上げ美豆良」と呼ばれるスタイルでした。

女性は、後ろで一つに結んだり、お団子を作って上に結い上げたりするシンプルなスタイルです。

これは、髪の毛が農作業の邪魔にならないようにするためのものだったと考えられています。

庶民の服装(風俗博物館より)

古墳時代の服装は埴輪から知ることができる

古墳時代に多く作られた古墳には、埴輪が副葬品として存在しています。

埴輪の中には、人を模したものがあり、その人形埴輪の服装から当時の服装を知ることもできるのです。

また、人形埴輪の中には、目の周りや頬に赤い化粧をしているものも見つかっています。

このことから、当時の人々が化粧をしていたということも伺えます。

赤い色は、太陽の色、血の色で、再生を願い、魔除けのための神聖な色として考えられていました。

そのため、現代の化粧とは目的が違っていたと考えられています。

さらに、武人を象った埴輪も存在しており、そちらからは当時の武人がどのような甲冑を身につけていたのかを知ることができます。

このように、埴輪からは古墳時代の服装などを知ることができるのです。

古墳時代に関するQ&A

古墳時代に関するQ&Aを簡単に解説していきます。

  • 古墳時代と弥生時代の違いは?
  • 古墳時代の有名な遺跡は?
  • 古墳時代はなぜ終わった?

古墳時代と弥生時代の違いは?

古墳時代と弥生時代には、生活スタイルの変化はもちろんのこと、政治や社会の制度においても大きな違いが現れ始めました。

弥生時代古墳時代
墓制墳丘墓や横穴墓が主流円墳や方墳、前方後円墳など、様々な形状の古墳が作られるようになった
政治的構造小国が各地に存在し、村単位の自給自足的な社会大王や有力な豪族などが中央集権的な体制を築き、各地に古墳を造らせ、権威を誇示した
社会階層社会階層の差はあまりなかった大王や有力者を中心に、武士や豪族などの階層が形成され、社会的な格差が明確になった
副葬品簡単な生活用品など刀や馬具、甲冑などの軍事的なものが多くなり、身分の高い人ほど豪華な副葬品を納めるようになった
生活稲作を中心とした農業が発展し、村落単位での生活が一般的だった豪族たちが農村を支配し、大規模な水田が作られた
交流中国や朝鮮半島との交流が盛んになり、銅鏡や刀などの文化財が伝来した更に大陸との交流が盛んになり、渡来人も多くやってきた結果、仏教や漢字、養蚕など新しい文化や技術が伝来した

古墳時代の有名な遺跡は?

  • 百舌鳥・古市古墳群(大阪府)

→仁徳天皇陵(大仙古墳):日本最大の前方後円墳で、全長約486m

  • 箸墓古墳(奈良県)
  • 西都原古墳群(宮崎県)
  • 埼玉古墳群(埼玉県)
  • 保渡田古墳群(群馬県)
  • 八女古墳群(福岡県)

→岩戸山古墳:磐井の乱を起こした筑紫野国造磐井が埋葬されている

  • 吉見百穴(埼玉県)
  • 石舞台古墳(奈良県)
  • 高松塚古墳(奈良県)
  • キトラ古墳(奈良県)
  • 五色塚古墳(兵庫県)
  • 森将軍塚古墳(長野県)
  • 今城塚古墳(大阪府)
  • 虎塚古墳(茨城県)
  • 造山古墳(岡山県)
  • 作山古墳(岡山県)

古墳時代はなぜ終わった?

古墳時代が終わった理由としては、主に3つのことが挙げられます。

・仏教の伝来と火葬の普及

仏教が伝来すると、それまでの土葬の慣習に代わって火葬が広まっていきました。

つまり、古墳を作る必要性が薄くなっていったということです。

・薄葬令

大化の改新で薄葬令が定められ、身分に応じて墓の規模が制限されるようになりました。

これにより、豪族たちが大規模な古墳を築くことは抑止されてしまい、古墳造営の伝統を弱めていくこととなったのです。

・ヤマト政権の強化

ヤマト政権は権力を強めていき、中央集権体制を確立させました。

すると、地方の豪族の権力を抑え、古墳造営を統制するようになりました。

この結果、大規模な古墳の造営は次第に減少していき、最終的には廃止されたのです。

以上のような複数の要素が絡み合い、古墳時代は終焉を迎えました。

まとめ:古墳時代の服装は弥生時代よりも華やかになり、身分によって違いが見られるようになった

古墳時代では、身分差ができたり、渡来人によって大陸の文化や技術が伝えられたりした結果、服装に影響がでました。弥生時代よりも華やかになり、身分によって服装に違いが見られるようになったのでした。

今回の内容をまとめると、

  • 古墳時代の服装は、弥生時代よりも華やか
  • 古墳時代は、身分差によって服装に違いが見られるようなった
  • 古墳時代には、大陸のものが多く伝来したことにより、アクセサリーなども豊富だった
  • 古墳時代は、男女ともに化粧をしていた
  • 古墳時代の庶民は、弥生時代と大きな変化のない生活をしていた

古墳時代には、基本的には文献というものはほとんど残っていません。

しかしながら、埴輪をはじめとした古墳の副葬品などが当時の服装を語ってくれます。

博物館などに行った際には、埴輪を見ながら、当時の人々がどのようなファッションをしていたのかを想像してみるといいかもしれませんね。

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