古墳時代の年表をわかりやすく解説!どんな時代?何が起きた?活躍した人は?
古墳時代とは、一般的に3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指します。
弥生時代に続く時期区分であり、前方後円墳に代表される古墳が盛んに作られていました。
また、倭国が次第に統一されていった時代としても知られています。
そんな古墳時代には、具体的にはどのようなことがあったのでしょうか?
この記事では、古墳時代の年表を見ながら、どんな時代であったのかを簡単に解説していきます。
目次
古墳時代の年表
【古墳時代の年表】
・3世紀中頃から後半頃
日本最古の前方後円墳「箸墓古墳」が築造される
→以降、各地に古墳が作られ始める
→近畿地方にヤマト政権が成立する
・372年
百済王が倭王に七支刀を贈る(石上神宮七支刀)
・400年
この頃以降、中国・朝鮮から多くの渡来人が移住し、大陸の技術や文化が伝わる
・5世紀頃
「倭の五王」が中国王朝に朝貢する
漢字が伝わる
「氏姓制度」が成立する
・5世紀中頃
日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳)」が築造される
・5世紀後半頃
ヤマト政権が九州から東北南部周辺までを支配する
・6世紀頃
仏教・儒教が伝わる
・527年
磐井の乱が起こる
→物部麁鹿火らによって鎮圧される
・587年
丁未の乱で、蘇我馬子が物部守屋に勝利する
・592年
蘇我馬子の命令で崇峻天皇が暗殺される
・645年
大化の改新によって、中大兄皇子らが蘇我氏を滅ぼす
・646年
改新の詔・薄葬令によって、以後古墳は漸次消滅していく
古墳時代の特徴
古墳時代の最大の特徴は、その名前にもある通り、土盛の墳墓である「古墳」が盛んに築造されたことです。
この古墳の規模や形状、副葬品などによって、当時の社会構造や階層を知ることができます。
また、その他の特徴もいくつかあるので、見ていきましょう。
・ヤマト政権の成立
3世紀後半に、大和を中心とする豪族連合が勢力を拡大し、ヤマト政権が成立しました。
これが徐々に支配地域を広げていき、5世紀後半頃には九州から東北南部周辺までを支配するようになります。
・渡来人の影響
5世紀以降、中国・朝鮮から渡来人が多く移住してきます。
その影響で、様々な大陸の文化や技術が伝来しました。
特に、5世紀には漢字、6世紀には仏教と言ったように、現在の日本に大きく影響してくる文化や技術が入ってきたのです。
・統治形態の変化
古墳時代後期にもなると、豪族の力が強まり、制度によって国を統治しようとする動きが出始めます。
古墳時代に起きた主な出来事
古墳時代に起きた主な出来事は以下の通りです。
・全国で古墳が築造された
円墳、方墳、前方後円墳など、様々な形の古墳が盛んに築造されました。
これは、当時の社会における階層化や豪族の権力を示す象徴的な建造物となりました。
・ヤマト政権が成立した
3世紀後半に、大和を中心とする豪族連合が勢力を拡大し、ヤマト政権が成立しました。
大王を中心に徐々に各地の豪族を支配していき、5世紀後半頃には九州から東北南部周辺までを支配するようになります。
・渡来人による文化・技術の伝来があった
渡来人によって、中国や朝鮮といった大陸の文化や技術、政治システムが伝来しました。
漢字や仏教、養蚕、製鉄などがその例として挙げられます。
・倭王の朝貢
5世紀頃に倭の五王(讃・珍・済・興・武)が中国王朝に朝貢し、関係を深めていきました。
中でも、武であるワカタケル大王は、宋から「安東大将軍」に任命されています。
・磐井の乱(527年)
ヤマト政権と、政権に不満を持っていた筑紫国造磐井との間で発生した内乱です。
1年半以上に及ぶ激しい戦いとなりましたが、物部麁鹿火率いるヤマト政権がこれを鎮圧しました。
そして、この結果、ヤマト政権が九州における支配力を強めていったのです。
古墳時代に活躍した人物
・仁徳天皇
4世紀後半から5世紀前半にかけて活躍したとされる第16代天皇です。
大変慈悲深く、人に優しい天皇であったと伝えられています。
その一例として、長年の朝鮮との戦いで倭の国力が衰えていた時のことが挙げられます。
仁徳天皇が農家の家を見てみたところ、その家から料理の際に出るであろう煙が立ち上っていません。
そこで、仁徳天皇は農民が食料がないほど貧しい暮らしをしているのだと悟り、その後3年間税を取り立てなかったのです。
このような仁徳天皇の人柄を支持している人が多かったのでしょう。
仁徳天皇の古墳は、面積ではピラミッドを抜いて世界最大のお墓です。
これを作るためには、1000人の人間が毎日働いたとしても4年近くもかかるとされています。
それほどまでに、仁徳天皇が権力を持っており、多くの人々から支持されていたということが伺えますね。
・司馬達等(しばだっと)
仏教が公式に日本に伝わる前に、司馬達等が自宅で仏像を礼拝していたということが伝わっています。
つまり、仏教が公式に伝わる以前に、民間で仏教がすでに伝わっていたということがわかる貴重な人物です。
・聖明王(せいめいおう)
百済の聖明王が欽明天皇に仏像や経典を送ったことにより、仏教が正式に日本に伝わりました。
なお、仏教公伝の年号は説が分かれています。
『上宮聖徳法王帝説』と『元興寺縁起』を根拠とする538年説と、『日本書紀』を根拠とする552年説があります。
現在では『日本書紀』の信憑性に疑問があるため、538年説が有力となっています。
・弓月君(ゆづきのきみ)
蚕の繭から生糸を作る養蚕の技術や、機織りの新しい技術を日本に伝えました。
秦氏という豪族の祖先となったと言われています。
・阿知使主(あちのおみ)
文筆に優れており、弓月君同様、養蚕の技術や、機織りの技術を日本に伝えました。
東漢氏(やまとのあやうじ)の祖先となったと言われています。
・王仁(わに)
『論語』や『千字文』などの中国の優れた文書を持ち込み、それによって日本に漢字が伝わりました。
西文氏(かわちのふみうじ)の祖先になったと言われています。
古墳時代に関するQ&A
古墳時代に関するQ&Aを簡単に解説していきます。
- 古墳時代と弥生時代の違いは?
- 古墳時代の有名な遺跡は?
- 古墳時代はなぜ終わった?
古墳時代と弥生時代の違いは?
古墳時代と弥生時代には、生活スタイルの変化はもちろんのこと、政治や社会の制度においても大きな違いが現れ始めました。
| 弥生時代 | 古墳時代 | |
| 墓制 | 墳丘墓や横穴墓が主流 | 円墳や方墳、前方後円墳など、様々な形状の古墳が作られるようになった |
| 政治的構造 | 小国が各地に存在し、村単位の自給自足的な社会 | 大王や有力な豪族などが中央集権的な体制を築き、各地に古墳を造らせ、権威を誇示した |
| 社会階層 | 社会階層の差はあまりなかった | 大王や有力者を中心に、武士や豪族などの階層が形成され、社会的な格差が明確になった |
| 副葬品 | 簡単な生活用品など | 刀や馬具、甲冑などの軍事的なものが多くなり、身分の高い人ほど豪華な副葬品を納めるようになった |
| 生活 | 稲作を中心とした農業が発展し、村落単位での生活が一般的だった | 豪族たちが農村を支配し、大規模な水田が作られた |
| 交流 | 中国や朝鮮半島との交流が盛んになり、銅鏡や刀などの文化財が伝来した | 更に大陸との交流が盛んになり、渡来人も多くやってきた結果、仏教や漢字、養蚕など新しい文化や技術が伝来した |
古墳時代の有名な遺跡は?
- 百舌鳥・古市古墳群(大阪府)
→仁徳天皇陵(大仙古墳):日本最大の前方後円墳で、全長約486m
- 箸墓古墳(奈良県)
- 西都原古墳群(宮崎県)
- 埼玉古墳群(埼玉県)
- 保渡田古墳群(群馬県)
- 八女古墳群(福岡県)
→岩戸山古墳:磐井の乱を起こした筑紫野国造磐井が埋葬されている
- 吉見百穴(埼玉県)
- 石舞台古墳(奈良県)
- 高松塚古墳(奈良県)
- キトラ古墳(奈良県)
- 五色塚古墳(兵庫県)
- 森将軍塚古墳(長野県)
- 今城塚古墳(大阪府)
- 虎塚古墳(茨城県)
- 造山古墳(岡山県)
- 作山古墳(岡山県)
古墳時代はなぜ終わった?
古墳時代が終わった理由としては、主に3つのことが挙げられます。
・仏教の伝来と火葬の普及
仏教が伝来すると、それまでの土葬の慣習に代わって火葬が広まっていきました。
つまり、古墳を作る必要性が薄くなっていったということです。
・薄葬令
大化の改新で薄葬令が定められ、身分に応じて墓の規模が制限されるようになりました。
これにより、豪族たちが大規模な古墳を築くことは抑止されてしまい、古墳造営の伝統を弱めていくこととなったのです。
・ヤマト政権の強化
ヤマト政権は権力を強めていき、中央集権体制を確立させました。
すると、地方の豪族の権力を抑え、古墳造営を統制するようになりました。
この結果、大規模な古墳の造営は次第に減少していき、最終的には廃止されたのです。
以上のような複数の要素が絡み合い、古墳時代は終焉を迎えました。
まとめ:古墳時代は各地に古墳が作られ、ヤマト政権の成立や渡来人による文化の伝来が行われた時期だった
古墳時代は、その名が表すように、全国各地に古墳と呼ばれる大きな墓が盛んに作られた時代でした。また、ヤマト政権が確立したり、渡来人による文化の伝来が行われた時期でもありました。
今回の内容をまとめると、
- 古墳時代は、一般的に3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指す
- 古墳時代には、前方後円墳を代表とするような、様々な形状の古墳が盛んに作られた
- 古墳時代に、ヤマト政権が確立し、次第に中央集権体制が築かれていった
- 古墳時代は、渡来人によって大陸の文化や技術・政治システムが伝来した
古墳時代の年表を見てみると、後の時代区分である飛鳥時代と被っている範囲があります。それはなぜかといえば、古墳時代の定義が「古墳が盛んに作られていた時代」だからです。飛鳥時代に入っても、終末期ではあるものの、古墳はまだまだ各地で作られていました。古墳が作られなくなったときが、古墳時代の終わりなのです。


