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一条天皇は猫好きだった?猫に位を与えた?初めてペットの猫に名前をつけた?

一条天皇(980(天元3)〜1011(寛弘8))は、日本の第66代天皇です。

藤原道長が絶大な権力を握っている中、摂政関白と協力して政治を行っていました。

また、2024年の大河ドラマ「光る君へ」では、塩野瑛久さんが演じられることでも話題となっています。

そんな一条天皇には、大の猫好きだったという話があります。

この記事では、一条天皇の猫に関するエピソードなどを簡単に解説していきます。

一条天皇は猫好きで、初めてペットの猫に名前をつけた

日本では、弥生時代から猫はペットとして飼われていたと考えられています。

稲作が始まった弥生時代にネズミが大量発生し、ネズミを捕獲する目的で猫が家畜化したのでしょう。

平安時代においても猫を飼っていた人はいました。

猫の飼育は、現代だと首輪だけつけて家の中で放し飼いという人が多いでしょう。

しかし、平安時代においては、紐に繋がれて飼われているのが主流でした。

それほどまでに、猫は逃げられたら大変な、高級なペットだったということが伺えます。

そして、平安時代一の愛猫家として知られているのが一条天皇です。

一条天皇の愛猫家としてのエピソードは、様々な書物に記されているほどです。

また、一条天皇は自身の飼い猫に「命婦(みょうぶ)のおとど」という名前をつけていたのですが、これはペットとして飼われた猫の中で、名前を持つ特定の個体として記録が残る最古の例となっています。

一条天皇は猫のために産養いを行った

一条天皇は、自身が飼っていた猫が子を生むと、産養いを行っていました。

産養いとは、子供が生まれた初夜から9日目までの奇数の日数に行う祝い事のことです。

しかし、これは通常人間の子供が生まれた際に行うものでした。

そのため、このことについて、藤原実資は『小右記』において「全く理解できない」と記しています。

一条天皇は、この祝い事に右大臣、左大臣を呼び、盛大に子猫の誕生を祝っていたそうです。

それほどまでに、子猫の誕生を喜ばしく思っていたことがわかりますね。

一条天皇は猫に位を与えた

一条天皇が普段いる内裏には、相応の身分の者しか入れないことになっていました。

そこで、一条天皇は、猫がいつでも入ってこれるようにと、猫に「命婦のおとど」という名をつけます。

命婦とは、従五位下の位を持つ女性のことです。

つまり、一条天皇の猫は、位を与えられ貴族の仲間入りを果たしたどころか、さらに昇殿を許されたので殿上人ともなったのです。

いかに猫のことを特別待遇していたのかが伺えます。

一条天皇は猫を守るために犬を追放した

一条天皇は、先程の命婦のおとどに、馬の命婦という名の乳母をつけ大切に育てていました。

しかし、あるとき一条天皇が馬の命婦に対して怒り心頭に発する出来事が起きてしまいます。

その日は、命婦のおとどが縁先で日差しに当たりながら居眠りをしていました。

すると、馬の命婦は行儀が悪いとして注意しますが、命婦のおとどは一向に言うことを聞く気配がありません。

そこで、馬の命婦は皇后・定子が飼っていた犬である翁丸(おきなまる)に、

「命婦のおとどを脅かしておやり」

と、指示を出します。

翁丸が指示通り脅かすと、命婦のおとどは驚き、慌てて一条天皇のいる御簾の中へと逃げ込みました。

事情を知った一条天皇は大激怒し、翁丸を宮中から追放するとともに、馬の命婦も乳母から外すことにしたのでした。

翁丸は、後に再び一条天皇に許され、宮中に戻ってこれたそうです。

一条天皇の『枕草子』に書かれた猫のエピソードには別の意味がある

先ほどお伝えした犬を追放したというエピソードは、『枕草子』の中の『上にさぶらふ御猫は』という段に描かれたエピソードとなっています。

実は、このエピソードには、ただの「宮廷に縁深い猫と犬にまつわる話」だけに留まらない、別の意味があると考えられているのです。

それは、この猫と犬を史実の人物と重ね合わせて読むと見えてきます。

具体的に見ていくと、まず以下のような史実があります。

「藤原伊周と藤原道長は、関白の座を巡り競い合っていました。

しかし、あるとき、帝からの信頼が厚かった藤原伊周が、長徳の変を起こして左遷されてしまいます。

そして、その後、流罪になった藤原伊周は帝に許され、都に戻ってくるのです。」

以上の出来事を、事件を利用して藤原伊周を蹴落とした藤原道長を「命婦のおとど」、左遷された後に、帝に許され都に戻って来る藤原伊周を「翁丸」として考えると、『上にさぶらふ御猫は』のエピソードと非常に展開が似ているのです。

本当に別の意味を持つのかということは、はっきりとは判明していませんが、非常に興味深いエピソードだと言えるでしょう。

一条天皇に関するQ&A

一条天皇に関するQ&Aを簡単に解説していきます。

  • 一条天皇の妻は何人いた?
  • 一条天皇の死因は?
  • 一条天皇はイケメンだった?

一条天皇の妻は何人いた?

一条天皇の妻といえば、定子と彰子が有名ですが、その他にも3人おり、全部で5人の妻がいました。

・定子

一条天皇に最初に入内したのが定子です。

一条天皇に最も愛され、子供も3人授かりました。

しかし、第三子を生んだ後、定子は亡くなってしまいました。

・義子

義子が入内したのは、長徳の変で定子の後見が没落した後です。

この頃から、男皇子を産む可能性を上げるために、他の后も次々に入内していきました。

義子は、血筋的には定子よりも高貴であり、有力な后となるはずでしたが、一度も子を授かることはありませんでした。

・元子

義子があまり一条天皇から寵愛を受けていないことを受けてか、入内したのが元子です。

元子も義子と同じく定子よりも高貴な血筋でした。

元子は義子と違い、一条天皇に気に入られ、一度は懐妊します。

しかし、臨月を過ぎても出産することはなく、子宮から大量の水が出ただけで、腹部は平らになり終わってしまいました。

このように、元子は子を成せませんでしたが、その後も一条天皇からの寵愛は続いたと言われています。

・尊子

尊子は、御匣殿別当として入内しました。

しかし、一条天皇は尊子を気に入らなかったのか、寵愛の形跡が見られません。

懐妊もしていなければ、女御になったのも入内してから2年以上経ってからとなりました。

・彰子

一番最後に入内したのが彰子です。

入内した当初、彰子はまだ12歳であったため、しばらくは一条天皇から女性として寵愛を受けることはありませんでした。

しかし、その後成長してからは、見事に2人の男皇子を出産し、その子は2人とも天皇に即位しました。

こうして、彰子は「国母」となったのです。

また、妻とはなっていませんが、一条天皇が愛した女性として、定子の妹である御匣殿も挙げられます。

『栄花物語』によると、一条天皇はこの御匣殿も寵愛して懐妊させてしまったようです。

一条天皇は、この御匣殿に、亡き最愛の人・定子の面影を見出し、愛してしまったのかもしれません。

しかし、御匣殿も妊娠中に亡くなってしまいます。

一条天皇はこのことにひどく落胆したと言われています。

一条天皇の死因は?

一条天皇の死因は病死と言われていますが、具体的な病名は判明していません。

発病からわずか1ヶ月で亡くなってしまったことから、発病時にはかなり病状が進行した状態だったことが伺えます。

一条天皇はイケメンだった?

一条天皇はイケメンだったという話があります。

そのことについては、『栄花物語』に書かれています。

「この上は、いみじう御かたちよりはじめ、きよらにあさましきまでぞおはします」

現代語訳:この帝は、ご容貌をはじめとして、気高く美しく、ただただ驚き入るほかない様子である

このように、一条天皇は見た目だけでなく、放つ雰囲気も気高く美しいと絶賛されているのです。

ただし、『栄花物語』は藤原道長の栄華を賛美する内容の歴史物語なので、藤原道長の娘の夫である一条天皇の容姿についても、多少の誇張が入っている可能性はあります。

まとめ:一条天皇は猫に位を与えてしまうくらいの愛猫家だった

日本では、古代から猫は人に飼われてきました。一条天皇も猫を飼っていましたが、位を与えてしまうくらいの溺愛ぶりでした。

今回の内容をまとめると、

  • 一条天皇は平安時代一の愛猫家だった
  • 一条天皇が、ペットの猫に名前をつけた例としては最古のもの
  • 一条天皇は、飼い猫に位を与えたり、猫のために犬を追放したりするくらいの溺愛ぶりだった

近年では「猫吸い」という言葉があるくらい、猫に癒やしを求めている人たちがいます。もしかしたら一条天皇も猫吸いしながら、猫に癒やされていたのかもしれませんね。

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