古墳時代の人物一覧!大王や豪族、渡来人など活躍していた人物を簡単に解説!
古墳時代とは、一般的に3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指します。
弥生時代に続く時期区分であり、前方後円墳に代表される古墳が盛んに作られていました。
また、倭国が次第に統一されていった時代としても知られています。
そんな古墳時代にはどのような人物が活躍していたのでしょうか?
この記事では、古墳時代に活躍していた人物について簡単に解説していきます。
目次
古墳時代に活躍していた人物の特徴
古墳時代に活躍していた人物の特徴は、大きく分けると3つあります。
- 大王:ヤマト政権の首長で、後の天皇となる人物
- 豪族:各地で勢力を持ち、大王に仕える貴族たち
- 渡来人:朝鮮半島から渡来して、大陸の新しい文化や技術などを伝えた人々
以上の身分の人々が主に活躍していました。
また、上記の身分に分けられた人物の他にも、個人名などはあまり出てきませんが、豪族などに仕えていた職人や農民もこの時代では活躍しています。
職人は埴輪や武器、副葬品などを作り、農民は農業を担うだけではなく、古墳の建設にも関わっていました。
つまり、職人や農民がいなければ、古墳はできていなかったと言っても過言ではありません。
以上のように、様々な人物がそれぞれの役割を果たしていたのです。
古墳時代の人物|大王・王編
・仁徳天皇
4世紀後半から5世紀前半にかけて活躍したとされる第16代天皇です。
大変慈悲深く、人に優しい天皇であったと伝えられています。
その一例として、長年の朝鮮との戦いで倭の国力が衰えていた時のことが挙げられます。
仁徳天皇が農家の家を見てみたところ、その家から料理の際に出るであろう煙が立ち上っていません。
そこで、仁徳天皇は農民が食料がないほど貧しい暮らしをしているのだと悟り、その後3年間税を取り立てなかったのです。
このような仁徳天皇の人柄を支持している人が多かったのでしょう。
仁徳天皇の古墳は、面積ではピラミッドを抜いて世界最大のお墓です。
これを作るためには、1000人の人間が毎日働いたとしても4年近くもかかるとされています。
それほどまでに、仁徳天皇が権力を持っており、多くの人々から支持されていたということが伺えますね。
・倭の五王(讃・珍・済・興・武)
倭の五王とは、5世紀に相次いで「宋」に使いを送った5人の王のことを指します。
このことは、『宋書』倭国伝に記されており、そこでは「讃・珍・済・興・武」を「倭の五王」と言っています。
倭の五王が宋に使いを送り、その結果与えられた称号で主なものは以下の通りです。
- 421年
倭王讃、朝貢して爵位を受ける
- 438年
倭王珍、安東将軍・倭国王に任じられる
- 443年
倭王済、安東将軍・倭国王に任じられる
- 451年
倭王済、使持節都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東将軍・倭国王を授けられる
- 462年
倭王済の世子興、安東将軍に任じられる
- 478年
倭王武、使持節都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭国王に任じられる
また、この倭の五王は、それぞれ『日本書紀』の何天皇に当たるのかが長年考証されています。
有力な説を挙げると、讃は応神か仁徳か履中、珍は反正か仁徳、済は允恭、興は安康、武は雄略の各天皇に当たると考えられています。
古墳時代の人物|豪族編
古墳時代の有力な豪族は、中央豪族と地方豪族に分けられます。
主に有力であった豪族の例を挙げていきます。
【中央豪族】
蘇我氏、物部氏、大伴氏、平群氏、葛城氏
【地方豪族】
筑紫君、宗像君
これらの豪族は、それぞれの地域で権力や経済力を持ち、ヤマト政権を支えるうえで重要な役割を果たしました。
この中でも、特に活躍した個人を見ていきましょう。
・平群真鳥(へぐりのまとり)
雄略天皇の御世に、大王を補佐する「大臣(おおとみ)」となり、平群氏の全盛期を迎えさせました。
国政を牛耳り、自らが「日本の王」になろうとしましたが、大伴金村によって一族皆殺しにされてしまいます。
・大伴金村(おおとものかなむら)
平群氏を滅亡に追い込んだ後、一躍ヤマト政権最大の実力者となった人物です。
武烈天皇を即位させ、自らは大連の地位に着きました。
その後、武烈天皇の崩御により皇統が途絶えてしまうのですが、この際に動いたのも大伴金村でした。
大伴金村は、武烈天皇の遠縁でもあり、北陸を治めていた「男大迹王(おほどのおおきみ)」に白羽の矢を立て、後継者になるように説得します。
こうして、ヤマト政権中興の祖とも称される26代天皇・継体天皇を誕生させたのです。
その他にも、百済から五経博士を渡来させたり、物部麁鹿火を将軍に任命して磐井の乱を鎮圧したりと、ヤマト政権の発展に大きく貢献しました。
・筑紫君磐井(ちくしのきみいわい)
新羅と結託してヤマト政権に反旗を翻しました。(磐井の乱(527年))
この際、筑紫君磐井は、朝鮮半島とヤマト政権の交易船を襲い、総勢約6万人の兵で任那へと進軍を開始したのです。
しかし、ヤマト政権から派遣された物部麁鹿火によって鎮圧されてしまいます。
磐井一族は滅亡し、これをきっかけにヤマト政権は有力豪族を超越した絶対的権力者へと昇華していくこととなるのです。
また、筑紫君磐井は、この時代では珍しく墓の特定が可能な人物としても知られています。
墓の特徴が『筑紫国風土記』に記されており、そこから考えられる墓は、福岡県の岩戸山古墳であるとされています。
この岩戸山古墳は墳丘長135mの前方後円墳であり、北部九州では最大、かつ当時の畿内大王墓にも匹敵する規模の古墳です。
このことから、いかに筑紫君磐井が大きな権力を持っていたのかが伺えますね。
古墳時代の人物|渡来人編
・司馬達等(しばだっと)
仏教が公式に日本に伝わる前に、司馬達等が自宅で仏像を礼拝していたということが伝わっています。
つまり、仏教が公式に伝わる以前に、民間で仏教がすでに伝わっていたということがわかる貴重な人物です。
・聖明王(せいめいおう)
百済の聖明王が欽明天皇に仏像や経典を送ったことにより、仏教が正式に日本に伝わりました。
なお、仏教公伝の年号は説が分かれています。
『上宮聖徳法王帝説』と『元興寺縁起』を根拠とする538年説と、『日本書紀』を根拠とする552年説があります。
現在では『日本書紀』の信憑性に疑問があるため、538年説が有力となっています。
・弓月君(ゆづきのきみ)
蚕の繭から生糸を作る養蚕の技術や、機織りの新しい技術を日本に伝えました。
秦氏という豪族の祖先となったと言われています。
・阿知使主(あちのおみ)
文筆に優れており、弓月君同様、養蚕の技術や、機織りの技術を日本に伝えました。
東漢氏(やまとのあやうじ)の祖先となったと言われています。
・王仁(わに)
『論語』や『千字文』などの中国の優れた文書を持ち込み、それによって日本に漢字が伝わりました。
西文氏(かわちのふみうじ)の祖先になったと言われています。
・五経博士(ごきょうはかせ)
百済から来日した儒教の学者です。
日本に儒教を伝え、儒教の経典を教えていました。
五経博士は、日本における儒教の導入に重要な役割を果たしました。
古墳時代に関するQ&A
古墳時代に関するQ&Aを簡単に解説していきます。
- 古墳時代と弥生時代の違いは?
- 古墳時代の有名な遺跡は?
- 古墳時代はなぜ終わった?
古墳時代と弥生時代の違いは?
古墳時代と弥生時代には、生活スタイルの変化はもちろんのこと、政治や社会の制度においても大きな違いが現れ始めました。
| 弥生時代 | 古墳時代 | |
| 墓制 | 墳丘墓や横穴墓が主流 | 円墳や方墳、前方後円墳など、様々な形状の古墳が作られるようになった |
| 政治的構造 | 小国が各地に存在し、村単位の自給自足的な社会 | 大王や有力な豪族などが中央集権的な体制を築き、各地に古墳を造らせ、権威を誇示した |
| 社会階層 | 社会階層の差はあまりなかった | 大王や有力者を中心に、武士や豪族などの階層が形成され、社会的な格差が明確になった |
| 副葬品 | 簡単な生活用品など | 刀や馬具、甲冑などの軍事的なものが多くなり、身分の高い人ほど豪華な副葬品を納めるようになった |
| 生活 | 稲作を中心とした農業が発展し、村落単位での生活が一般的だった | 豪族たちが農村を支配し、大規模な水田が作られた |
| 交流 | 中国や朝鮮半島との交流が盛んになり、銅鏡や刀などの文化財が伝来した | 更に大陸との交流が盛んになり、渡来人も多くやってきた結果、仏教や漢字、養蚕など新しい文化や技術が伝来した |
古墳時代の有名な遺跡は?
- 百舌鳥・古市古墳群(大阪府)
→仁徳天皇陵(大仙古墳):日本最大の前方後円墳で、全長約486m
- 箸墓古墳(奈良県)
- 西都原古墳群(宮崎県)
- 埼玉古墳群(埼玉県)
- 保渡田古墳群(群馬県)
- 八女古墳群(福岡県)
→岩戸山古墳:磐井の乱を起こした筑紫野国造磐井が埋葬されている
- 吉見百穴(埼玉県)
- 石舞台古墳(奈良県)
- 高松塚古墳(奈良県)
- キトラ古墳(奈良県)
- 五色塚古墳(兵庫県)
- 森将軍塚古墳(長野県)
- 今城塚古墳(大阪府)
- 虎塚古墳(茨城県)
- 造山古墳(岡山県)
- 作山古墳(岡山県)
古墳時代はなぜ終わった?
古墳時代が終わった理由としては、主に3つのことが挙げられます。
・仏教の伝来と火葬の普及
仏教が伝来すると、それまでの土葬の慣習に代わって火葬が広まっていきました。
つまり、古墳を作る必要性が薄くなっていったということです。
・薄葬令
大化の改新で薄葬令が定められ、身分に応じて墓の規模が制限されるようになりました。
これにより、豪族たちが大規模な古墳を築くことは抑止されてしまい、古墳造営の伝統を弱めていくこととなったのです。
・ヤマト政権の強化
ヤマト政権は権力を強めていき、中央集権体制を確立させました。
すると、地方の豪族の権力を抑え、古墳造営を統制するようになりました。
この結果、大規模な古墳の造営は次第に減少していき、最終的には廃止されたのです。
以上のような複数の要素が絡み合い、古墳時代は終焉を迎えました。
まとめ:古墳時代の人物では、大王や豪族といった支配者層や渡来人などが活躍していた
古墳時代では、大王や豪族、渡来人といった人々が主に活躍していました。しかし、それだけではなく、職人や農民といった身分の人々が、古墳を造るのに尽力してくれていたということも忘れてはならないところでしょう。
今回の内容をまとめると、
- 古墳時代に活躍した人物は、大王や豪族といった支配者層や渡来人などが多かった
- 古墳時代には、職人や農民といった身分の人々も古墳建設においては活躍していた
古墳時代では、それぞれの身分の人が、それぞれに合った役割を果たし、活躍していたというところが大きいです。身分差が出来始めた時代だからこその現象なのかもしれませんね。



