古墳時代の食べ物はどうだった?内容や回数は?豪族(貴族)と庶民の違いは?
古墳時代とは、一般的に3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指します。
弥生時代に続く時期区分であり、前方後円墳に代表される古墳が盛んに作られていました。
また、倭国が次第に統一されていった時代としても知られています。
そんな古墳時代では、どのような食べ物が食べられていたのでしょうか?
この記事では、古墳時代の食べ物について簡単に解説していきます。
目次
古墳時代の食べ物と食生活の特徴
【古墳時代に食べられていたもの】
- コメやヒエ、アワなどの穀物
- シカやイノシシなどの肉
- タイやスズキ、ブリなどの海の魚
- アユやコイの仲間、ナマズなどの川や湖の魚
- ハマグリやアサリ、カキなどの貝
- マメやウリの仲間、エゴマなどの野菜
- モモやスモモなどの果物
【古墳時代の食生活の特徴】
古墳時代の食生活は、基本的には弥生時代とほぼ同じです。
しかし、異なる点がいくつかあるので、それを見ていきましょう。
・大規模な水田が作られるようになった
弥生時代から稲作が始まり、食料が安定したことにより、どんどん人口が増えていきました。
古墳時代に入ると、その人口増加に対応するために、大規模な水田が作られるようになったのです。
古墳時代に入ってから大規模な水田が作られるようになったのには、いくつか理由があります。
- ヤマト政権のような統率力のあるリーダーの存在が出てきたこと
- 5世紀頃に朝鮮半島から鉄製農具が伝わり、土を掘り起こす力が増し、今まで開墾できなかった土地も使えるようになったこと
- 鉄製農具のおかげで、農作業もより効率化されたこと
- 後期に入り、牛や馬といった家畜を農耕に利用し始めたこと
以上のような様々な理由が重なり、大規模な水田を作れるようになりました。
しかし、急激な人口増加にはやはり対応しきれていなかったのか、一人が食べられるコメの量はあまり増えていなかったようです。
・狩猟・採集などはあまり行われなくなった
縄文時代から行ってきた狩猟・採集は、稲作の安定化により、あまり行われなくなっていきました。
しかし、食材の少ない冬には狩りをして食料を補ったり、田畑を荒らす獣を捕えたりといったように、全く狩猟を行わなかったということはありませんでした。
・網猟が盛んになる
古墳時代に入ると、網漁が盛んになっていきました。
これがなぜ判明したのかというと、網につけるオモリが各地で出土したからです。
網漁は、船に乗って遠くまで行く漁とは違い、農村で暮らす人々が行っていたと考えられています。
冬の食料がなかなか取れない時期には、この網漁がかなり重要でした。
また、北部九州沿岸部や三浦半島には、遠くまで船に乗って漁を行う漁師のムラがありました。
・お酒も作られていた
古墳時代には、なんとお酒も作られていました。
【古墳時代に作られていたお酒】
- 果実酒
- ムラの男女が生米を噛んで吐き出して造る、口噛み酒
- 麹カビの酒
特に、麹カビの酒は、現在の日本酒の原形のようなものだと考えられています。
古墳時代の食べ物は大陸の技術によって豊かになった
朝鮮半島から鉄製農具が伝わったことにより、古墳時代の稲作はだいぶ発展を遂げました。
しかし、半島からの技術によって発展を遂げたのはそれだけではありません。
他にもいくつか変わった点があるので見ていきましょう。
・「コシキ」「カマド」の登場
中期になると、「コシキ」と「カマド」が半島から伝わります。
コシキは、土器の底に小さな穴が空いているものです。
それをカマドと合わせて使うことにより、蒸し料理ができるようになります。
蒸し料理には強い火力が必要なので、カマドは住居の壁際に作られていました。
これによって作られたものには、強飯(こわいい)と呼ばれる赤飯のようなご飯があります。
カマドの登場により、コメを炊くことが簡単になり、よりコメ食を普及させていきました。
・「須恵器(すえき)」と「土師器(はじき)」の使用
中期には、コシキやカマドだけではなく、須恵器という土器とその作り方も伝わってきました。
須恵器は、登り窯で高い温度で焼くので、水が漏れないくらい堅いという特徴を持っています。
そのため、水甕といった貯蔵用であったり、食べ物を盛り付けるのに適していました。
しかし、堅すぎるが故に、火にかけることができなかったため、そこで登場したのが土師器です。
土師器は、野外で焼いて作るため、赤っぽくて柔らかいという特徴を持っています。
そのため、鍋などの調理用として使用する場合には、この土師器が採用されました。
それぞれの土器の特徴を活かしながら、両方をうまく使っていたというわけですね。
また、須恵器の中には、一人用と思われるような小さな器がたくさんあります。
それまでは、一人用の器というものはあまり見られなかったため、これも古墳時代からの食生活の変化と言えるでしょう。
古墳時代の食べ物や食事回数は身分によって差があった
古墳時代になると、食べ物や食事回数は身分によって差が出てきます。
それぞれを見ていきましょう。
【豪族(貴族)】
- 一般的に1日2食が中心(朝食と夕食)
- 主食をコメとし、多様な食材を使い、15品目もの食事を豪勢に楽しんでいた
- 食器も、金属器や漆器といった高級品を使用していた
【庶民】
- 一般的に1日2食だが、生活状況によっては1日1食の人もいた
- 主食はコメや雑穀で、一汁一菜の質素な食事
- 1日の摂取カロリーは400kcalであったと考えられており、現代人よりも明らかに低く栄養不足であった
- 食器は、土器や木製の食器が使われていた
以上のように、古墳時代では、身分によってだいぶ食生活に差がありました。
古墳時代の食べ物の保存方法
古墳時代には、当然ですが冷蔵庫のような保存しておくための機械はありません。
それでは、どのようにして食べ物を保存していたのでしょうか?
基本的には、季節に採れるものをその時その時に食べていました。
しかし、日本の気候は高温多湿で、夏場は特に食べ物が腐りやすいです。
人口が増え、その分、食べ物も多く用意しないといけませんから、腐らせてしまってはもったいないわけです。
そこで使用されていたのが、「塩」です。
古墳時代の遺跡からは、「製塩土器」という塩を作るための土器が多く出てきており、大量の塩を作っていたのだということが伺えます。
もちろん調味料として使っていたということもあるのでしょうが、主な目的は塩漬けです。
食材を塩漬けすることにより、長持ちさせようとしていたわけですね。
その他の長持ちさせる方法としては、燻製や干物にするなどといった手段もみられます。
このように、古墳時代の人々は、食べ物を保存していました。
古墳時代に関するQ&A
古墳時代に関するQ&Aを簡単に解説していきます。
- 古墳時代と弥生時代の違いは?
- 古墳時代の有名な遺跡は?
- 古墳時代はなぜ終わった?
古墳時代と弥生時代の違いは?
古墳時代と弥生時代には、生活スタイルの変化はもちろんのこと、政治や社会の制度においても大きな違いが現れ始めました。
| 弥生時代 | 古墳時代 | |
| 墓制 | 墳丘墓や横穴墓が主流 | 円墳や方墳、前方後円墳など、様々な形状の古墳が作られるようになった |
| 政治的構造 | 小国が各地に存在し、村単位の自給自足的な社会 | 大王や有力な豪族などが中央集権的な体制を築き、各地に古墳を造らせ、権威を誇示した |
| 社会階層 | 社会階層の差はあまりなかった | 大王や有力者を中心に、武士や豪族などの階層が形成され、社会的な格差が明確になった |
| 副葬品 | 簡単な生活用品など | 刀や馬具、甲冑などの軍事的なものが多くなり、身分の高い人ほど豪華な副葬品を納めるようになった |
| 生活 | 稲作を中心とした農業が発展し、村落単位での生活が一般的だった | 豪族たちが農村を支配し、大規模な水田が作られた |
| 交流 | 中国や朝鮮半島との交流が盛んになり、銅鏡や刀などの文化財が伝来した | 更に大陸との交流が盛んになり、渡来人も多くやってきた結果、仏教や漢字、養蚕など新しい文化や技術が伝来した |
古墳時代の有名な遺跡は?
- 百舌鳥・古市古墳群(大阪府)
→仁徳天皇陵(大仙古墳):日本最大の前方後円墳で、全長約486m
- 箸墓古墳(奈良県)
- 西都原古墳群(宮崎県)
- 埼玉古墳群(埼玉県)
- 保渡田古墳群(群馬県)
- 八女古墳群(福岡県)
→岩戸山古墳:磐井の乱を起こした筑紫野国造磐井が埋葬されている
- 吉見百穴(埼玉県)
- 石舞台古墳(奈良県)
- 高松塚古墳(奈良県)
- キトラ古墳(奈良県)
- 五色塚古墳(兵庫県)
- 森将軍塚古墳(長野県)
- 今城塚古墳(大阪府)
- 虎塚古墳(茨城県)
- 造山古墳(岡山県)
- 作山古墳(岡山県)
古墳時代はなぜ終わった?
古墳時代が終わった理由としては、主に3つのことが挙げられます。
・仏教の伝来と火葬の普及
仏教が伝来すると、それまでの土葬の慣習に代わって火葬が広まっていきました。
つまり、古墳を作る必要性が薄くなっていったということです。
・薄葬令
大化の改新で薄葬令が定められ、身分に応じて墓の規模が制限されるようになりました。
これにより、豪族たちが大規模な古墳を築くことは抑止されてしまい、古墳造営の伝統を弱めていくこととなったのです。
・ヤマト政権の強化
ヤマト政権は権力を強めていき、中央集権体制を確立させました。
すると、地方の豪族の権力を抑え、古墳造営を統制するようになりました。
この結果、大規模な古墳の造営は次第に減少していき、最終的には廃止されたのです。
以上のような複数の要素が絡み合い、古墳時代は終焉を迎えました。
まとめ:古墳時代の食べ物は弥生時代と大きく変化はないが、身分によって食べられるものの差が出てきた
古墳時代の食べ物は、基本的には弥生時代と大きな変化はありませんでした。しかし、人々に身分差が出てきたことにより、食生活にも差が出始めてきました。
今回の内容をまとめると、
- 古墳時代の食べ物は弥生時代と大きな変化はない
- 朝鮮半島からの技術などが伝わったことにより、様々な食の質が上がった
- 人々に身分差が出てきたことにより、食生活にも差が出てきた
古墳時代後期あたりになると、内陸部でも製塩土器が見つかるようになります。
これは、朝鮮半島から伝わってきた馬を育てるために、塩が必要であったからだと考えられています。
この頃の生活で、いかに塩が重要視されていたのかが伺えますね。



