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和泉式部の代表作を簡単に解説!百人一首にも?有名な和歌は?和泉式部日記とは?

和泉式部(978年頃(天元元年頃)〜不明)は、平安時代中期に活躍した歌人です。

百人一首の歌人であり、中古三十六歌仙や、女房三十六人歌仙の一人に選ばれています。

また、2024年の大河ドラマ「光る君へ」では、泉里香さんが演じられることでも話題となっています。

そんな和泉式部の代表作にはどのようなものがあるのでしょうか?

この記事では、和泉式部の代表作について簡単に解説していきます。

和泉式部の代表作を簡単に解説!

和泉式部の作品は、『拾遺和歌集』といった勅撰集に250首以上も入集しています。

その他にも、和泉式部が詠んだ902首を収めた『和泉式部正集』や、647首を収めた『和泉式部続集』などの歌集もあります。

また、百人一首にも収録されており、第56番目の和泉式部の歌は、恋多き生涯を送り、情熱的な秀歌を多く残した和泉式部を代表する1首です。

さらに、和泉式部を代表する作品と言うと、『和泉式部日記』が挙げられます。

これは1003年(長保5年)4月から翌年1月までの記録で、敦道親王との恋愛模様が主に記されたものです。

約150首もの和歌が掲載されており、2人の間でやり取りされた贈答歌が日記の中心となっています。

和泉式部は百人一首の和歌にも選出されている

和泉式部の百人一首の歌

「あらざらむ この世のほかの 思ひ出に いまひとたびの 逢ふこともがな」

現代語訳

「もうすぐ私はこの世を去ってしまうことでしょう。あの世へ持っていく思い出に、もう一度あなたにお会いしたいものです」

和泉式部の和歌は、百人一首の第56番目の和歌で、『後拾遺和歌集』より出典されています。

晩年、病に伏しながら恋人へ贈った歌だとされていますが、その相手が誰なのかは判明していません。

和泉式部の恋多き生涯を体現する歌として知られています。

『和泉式部日記』は当時の恋愛を伝える貴重な文学作品

和泉式部日記は、和泉式部が記したとされる1003年(長保5年)4月から翌年1月までの記録で、主に敦道親王との恋愛模様が描かれた日記となっています。

これには、約150首もの和歌が掲載されており、和泉式部と敦道親王との間でやり取りされた贈答歌が日記の核となっているのが特徴です。

和泉式部日記の特に評価されている点は以下の通りです。

  • 赤裸々な恋の記録
  • 和歌を使った恋の駆け引き
  • 物語のような三人称

・赤裸々な恋の記録

先ほどもお伝えしたように、和泉式部日記では、和泉式部と敦道親王との恋愛模様が描かれています。

その際の和泉式部の心情が非常に細かく丁寧に描写されているため、1000年以上前の作品でありながら、現代の私達にも共感できる部分が多くあるのです。

喜びや不安、葛藤など、恋する女性の機微が生き生きと伝わってくる作品です。

・和歌を使った恋の駆け引き

和泉式部日記では、和歌と散文(地の文)が巧みに組み合わされているのが特徴の1つでもあります。

和歌のやり取りを通じて、2人の恋が進展していくのですが、その和歌の使い方も非常にうまいです。

例えば、2人の恋が盛り上がるシーンでは、両者の和歌に使われるキーワードが共通しており、2人の心が通い合っているということを表現しています。

このように、和歌は単なる装飾ではなく、心情を描写し、物語を進める上で非常に重要な役割を果たしているのです。

・物語のような三人称

和泉式部日記の他の特徴としては、作者の和泉式部のことが「女」と、三人称で描かれていることも挙げられます。

また、和泉式部が本来知り得るはずのない敦道親王の様子も描写されており、そのおかげで物語的な側面を持っています。

こうすることによって、和泉式部はより客観的に自身の恋愛を分析し、読者に伝えようとしたのかもしれません。

さらに、和泉式部の地方貴族としての立場による制約や、そこから訪れる孤独感や虚無感なども細かく描かれており、平安時代の女性の恋愛の様子がよくわかる作品となっています。

以上のようなことから、和泉式部日記は、ただの恋愛日記にとどまらない、奥深い文学作品に仕上がっているのです。

和泉式部の有名な和歌

和泉式部の有名な和歌をいくつかご紹介していきます。

「物思へば 沢の蛍も 我が身より あくがれ出づる 魂かとぞみる」

現代語訳:物思いをしていると、沢を飛び交っている蛍の火も、自分の身から離れ、さまよい出た魂なのではないかと見えたことだ

「黒髪の 乱れも知らず うち臥せば まづかきやりし 人ぞ恋しき」

現代語訳:黒髪が乱れるのもかまわずこうして横たわっていると、この髪を手でかきあげた人が恋しく思われる

「今はただ そよその事と 思ひ出でて 忘るばかりの 憂きふしもがな」

現代語訳:夫に先立たれた今はただ、「そう、そんなことがあった」と楽しいことを思い出しては泣くばかりで、いっそ宮のことを忘れたくなるほどの辛い思い出があったらよかったのに…

「捨て果てむと 思ふさえこそ かなしけれ 君に馴れにし 我が身とおもへ」

現代語訳:捨ててしまおうと、そう思うことさえ切ない。あの人に馴染んでしまった我が身と思うと

「今宵さへ あらばかくこそ 思ほえめ 今日暮れぬまの 命ともがな」

現代語訳:今夜さえ生きていたら、またこんなに辛く思うでしょう。いっそ今日の日が暮れないうちに死んでしまいたい

「とどめおきて 誰をあはれと 思ふらむ 子はまさるらむ 子はまさりけり」

現代語訳:他の人を残して旅立ったあなたは、あの世で誰のことを愛おしく思い出しているだろうか。やはり子供のことであろう。私だってあなたとの死別が何より辛いのだから

和泉式部に関するQ&A

和泉式部に関するQ&Aを簡単に解説していきます。

  • 和泉式部はどんな人?
  • 和泉式部は中宮・彰子に仕えていた?藤原道長とのエピソードは?
  • 祇園祭の保昌山は和泉式部をモデルに作られた?

和泉式部はどんな人?

和泉式部(いずみしきぶ):978年頃(天元元年頃)〜不明

父:大江雅致/母:平保衡の娘

子:小式部内侍、石蔵宮

和泉式部は、大江雅致と平保衡の娘との間に誕生しました。

和泉式部という名前は、父・大江雅致が式部省に就いており、最初の夫である橘道貞が和泉守という役職に就いていたことから、両方の役職の名を取ってつけられたと言われています。

そんな和泉式部は、恋に生きた女性でした。

和泉式部と恋仲にあったとされる男性は、判明しているだけでも4人(橘道貞、為尊親王、敦道親王、藤原保昌)います。

しかし、実際に結婚したのは、橘道貞と藤原保昌だけなので、旦那は2人ということになりますね。

また、敦道親王との恋愛模様を描いた『和泉式部日記』は、約150首の贈答歌と手紙のやり取りを通じて、男女の心の揺れを繊細かつ情熱的に綴っており、時代を越えて高い評価を受けています。

和泉式部は中宮・彰子に仕えていた?藤原道長とのエピソードは?

大恋愛をしていた相手・敦道親王が若くして亡くなってしまい、失意の中にいた和泉式部に声をかけたのが藤原道長でした。

藤原道長は、和泉式部の和歌の才能を買っており、自分の娘・彰子に仕えるように依頼してきたのです。

こうして、和泉式部は中宮・彰子に仕えることになりました。

和泉式部の才能を買っていた藤原道長でしたが、和泉式部を揶揄する場面もありました。

それは、ある人が自分の扇を自慢しているときのことでした。

それを見た藤原道長が、

「それは誰からもらった扇か」

と尋ねると、ある人は和泉式部のことを指差しました。

すると、藤原道長はその扇を手にして『浮かれ女の扇』といたずら書きをしたのです。

和泉式部のことを、恋の楽しみばかり追いかけている女と揶揄したわけですね。

それを見た和泉式部は、その横に、

「越えもせむ 越さずもあらむ 逢坂の 関守ならぬ 人な咎めそ」

と書き足しました。

これは、「男女の逢瀬の関を越える者もあれば、越えない者もいる。関守でもないあなたには関係のないことですよ」という意味です。

藤原道長に揶揄されても、和泉式部は自身の才能でそれを軽くあしらったのでした。

祇園祭の保昌山は和泉式部をモデルに作られた?

祗園祭で披露される山鉾の一つに保昌山というものがあります。

これは、別名「花盗人山(はなぬすびとやま)」と呼ばれ、和泉式部とその再婚相手である藤原保昌をモデルに制作されたと言われています。

藤原保昌は、宮中で見かけた和泉式部に一目惚れをしました。

そして、何度も何度も恋文を出してみるのですが、和泉式部はなかなか振り向いてくれません。

そんな中、和泉式部は藤原保昌の本気を試すために、紫宸殿(内裏の正殿)に行き、その庭に咲く紅梅を一枝追って持ってきてほしいと頼みます。

すると、藤原保昌は本当に内裏に忍び込み、警護の武士たちに矢を射かけながらも、なんとか梅の枝を折ることに成功し、和泉式部の元へと持ってきたのです。

こうして、2人は晴れて結婚することとなりました。

保昌山では、この逸話を元に、鎧武者姿の御神体が美しい紅梅を掲げています。

まとめ:和泉式部の代表作は、和泉式部の人生そのものを表している

和泉式部の代表作には、数々の優秀な和歌の他にも、宮中での恋愛模様を描いた『和泉式部日記』があります。そのどれもが、恋に生きた和泉式部の人生そのものを表していると言っても過言ではない作品ばかりです。

今回の内容をまとめると、

  • 和泉式部は数々の優秀な和歌作品を残しており、百人一首にも選出されている
  • 和泉式部は和歌以外にも、宮中での恋愛模様を描いた『和泉式部日記』も有名
  • 和泉式部の作品は、どれも恋に生きた和泉式部の人生そのものを表している

和泉式部の和歌は、現代を生きる私達が読んでも、非常に共感できる部分が多く、恋をしている人であれば、お気に入りの一句が見つかるかもしれませんね。

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